朝鮮人でもやる奴はやる!

私には朝鮮の血が流れている

【福岡県北九州市/男性/キムチ専門店】
私の父は朝鮮学校に通っていました。そうです。私の父は朝鮮人です。

祖父の代から日本で暮らしています。昔は炭鉱などの作業をして暮らしていたそうです。
そんな家庭に生まれた父は、朝鮮学校に通っていたそうです。当時の朝鮮学校はとにかく荒れていたみたいで、暴力事件なども頻繁に起こっていたそうです。

しかし大人しかった父は、不良グループには属さず、いつも読書をしていたそうです。
朝鮮人として、隠すことなく生きてきた父を誇りに思います。

私は、朝鮮人である事を隠し普通の学校に行きました。両親もそれがいいだろうと言っていました。
ある日、友達から「お前、何かキムチくせーな!」と言われたことがありました。
それもそのはず、朝から壺に漬け込んである自家製キムチを食べていましたから。

しかし、そのことがきっかけでクラスのみんなに、朝鮮人かもしれないという噂が広がってしまいました。
私は、必死で隠しました。それから毎朝食べていた、自家製キムチも食べなくなりました。
次第に噂もなくなり普通に学校生活を送っていました。

ある日クラスの授業で、北朝鮮についての授業がありました。
先生は、北朝鮮のことをミサイルで恐喝する国といいました。そして北朝鮮の特徴として、変な髪形をしていると言いました。
私はなんだか悔しい気持ちになり、次の日、横だけを剃って登校しました。
まさに今の金〇恩みたいに。

学校では笑われ、朝鮮人というあだ名を付けられました。朝鮮人といって馬鹿にしてきた奴に、私は隠し持っていたキムチを、投げつけてやりました。
それ以来、学校で「キム」と呼ばれるようになりました。私は、もう朝鮮人である事を隠さずに生きて行こうと決めました。
高校卒業と同時に東京で暮らしました。その当時、東京に行けば何かあると思い込んでいました。しかし仕事もなく、やっとの思いで働かせてもらうことができたのは風俗店の雑用係でした。

給料も安く、キャッシングしようと思い、セントラルに申し込んでみましたが、仕事が風俗関係ということもありセントラルは審査落ちでした。
セントラル以外にもありましたが、こんな私にお金を貸してくれるところは、危ないようなところばかりでした。
このまま東京にいても意味がないと思い、地元に帰る事にしました。

何か自分で商売をやりたいと思い、母からキムチの作り方を教えてもらいキムチ専門店をオープンさせました。
費用は全てブラック歓迎の即日融資でキャッシングしました。

あの時、セントラルの審査に落ちたりしなければ、まだ東京にいたと思います。
今考えれば、セントラルの審査に落ちたことは良かったと思えます。

もちろんブラック歓迎の即日融資とも出会う事はなかったでしょう。
今の私があるのは、セントラルのおかげであり、ブラック歓迎の即日融資のおかげでもあります。

これからもっと美味しいキムチを作って、二号店を出せるように頑張ります。

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